「100年の歴史 次の100年へ共に歩む」=足利市制100周年=
1921(大正10)年1月1日市制を施行した足利市はこのほど、100周年記念式典を足利市民プラザで行いました。昨年11月予定していた式典が延期となり、今回はまん延防止等重点措置期間中であるものの、感染防止対策を十分行いながら2部制で実施。
1896(明治29)年施行の宇都宮市に次いで2番目となる本市は、
当時の面積9.40㎢、人口35,632人・6,225世帯で、後の「昭和の市町村合併」により面積約178㎢、人口は今年1月時点で142,477人です。かつて栄えた織物業のルーツは奈良時代にまで遡り、大正から昭和初期において美しく斬新なデザインで安価な「足利銘仙」が国内で広く愛用された。
銘仙の盛んな生産により市内経済は活況で、渡良瀬川の中橋架橋や足利駅改築に加え、足利織物同業組合先導のもと足利織姫神社の新社殿も建造されました。
戦後のトリコット生産では昭和30年代日本一の産地となり、現在はアルミや機械金属、プラスチック工業が中心の商工業都市です。
また、日本最古の足利学校や鑁阿寺、あしかがフラワーパークなどを中心に多くの人が訪れる観光のまちでもあります。
第1部は福田知事や県内外首長らが出席のもと、第二中2年の田代誠一郎さん・第三中2年の大杉里桜さんによる「未来のあしかがへ紡ぐ想い」の朗読ではじまり、続いて地元出身の歌手・堀優衣さんが国歌を独唱。
早川市長は「先人の築いた伝統や足利らしさを重んじ、進取の精神を忘れず、常に挑戦し新たな価値を生み出していくまちを、次代へ受け継いでいきたい」と訴えました。式典では国内外の姉妹都市や本市ゆかりの著名人からのビデオメッセージが披露され、市制100周年を祝った。合わせて、創業281年の柳田メディア(田中町)はじめ創業100年以上の企業53社の表彰と、自治・公益功労として641名が顕彰されました。
第2部において私も地元県議を代表し、表彰・顕彰の栄に浴された方々に祝意を伝えるとともに、「足利市の次の100年へ新たな歩みを、オール足利体制で進めてまいりましょう!」と挨拶いたしました。